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ep_5

「これからぼくの話す内容は支離滅裂で無意味で人類世の中への貢献とかそんな聖人じみた目標に裏打ちされたものでもなくただ句読点を捨てて機関銃のように話し続けたらどんな様相を呈するのだろうといった類の単なる好奇心の発露であって何か高尚な理由があるわけでもない」

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上新庄で停車
抽象的な花の文様
の描かれた服と鞄を身につけた中年女性の集団
が乗り込む年齢にあまり差はなさそう

7〜8人辺りかドアの近くに集まり和気藹々と話しているほとんどがデニムジャケット(紺)を着用

よく見てみると髪型にも共通点があった
ポニーテール、団子、三つ編み髪の量に差はあれど後ろへ束ねているのに違いはない

これだけ服装、外見の似ている人間が複数
いると薄気味悪い

スーツだとか制服だとかは見慣れて
いるからいいがお揃いの私服を着ている
集団(7〜8人)なんてそうそう見ない
からそう感じるのか

あと単純にうるさい静かに乗れ口の閉じ方を
知らないのか降りろこの野郎と思う

紺のデニムジャケットと花の文様のスカートを身につけた女性が乗り込んできただけで仲間ではないかと錯覚してしまう

やっと西宮北口で降りたなにやら長文のLINE
を交わしているのが見えたしかし何故同じ格好をしているのか行き先は何処か何一つ分からないまま終わる

ツイッター

何でこんなにツイッターへ依存しているんだろうと考えていた。毎日クソ多いRT数で見たくもない情報が回ってきて不快になるし、頭の良さそうなアカウントを発見しては劣等感に苛まれるし、可能性にあふれた年下を見ると胸が痛む。ぼんやりとTLを眺めてる内に時間をどんどん浪費する。最悪な点ならいくらでも挙げられるのにやめられないのは何故か。

それは全部あの「いいね」「リツイート」とかいう機能のお陰で、一回承認を稼ぐ快楽を覚えると中々抜けられないというのがある。描いた絵がリツイートで様々な界隈へぶっ飛んでいって「いいね」が増えていくのを見るのは気持ちが良い。100とか超えた日には小躍りして喜びたくなる。

ただこれはストレスの原因にもなり得て、例えばこの人に最近いいねされてないとか、メチャクチャ手間かけた絵なのにぜんぜん伸びないとか、無意味にマイナス感情を増幅させている気がする。

まあいくらツイッターごときで承認を稼ごうが確固たる実力か何かが無いと結局なにもかも虚無なのでどうでもいい。どうでもいい全てが。

4/7

学校が始まった。

提出物を出してから、ふらふらと図書館に向かった。ランボー関連の本が借りたかったのだけど、本命のは見つからなくてがっかりした。opacで調べたところ2011年に貸し出されたまま戻ってきてないらしい。嘘だろ。 

沈んだ気持ちで雑誌の棚を見たら、現代詩手帖のバックナンバーが結構な量置いてあった。3月号がちょうどダダ・シュルレアリスム特集だったので嬉々として借りた。
 

授業に出たら同級生と顔を合わせなくてはならず、思わず発狂しかけたけど耐えた。 

おわり

 

 

4/5

今日は少し本を読んで、絵を描いた。終わり。

本を読むだけの体力が少しは戻ってきたようで嬉しい。一日の大半がツイッターに侵されてるのは変わりないけども。アマゾンで注文していた「ランボー『地獄の季節』詩人になりたいあなたへ」が届いたので、小林秀雄訳の「地獄の季節」を参照しながら読みすすめた。良い理解の助けになってくれている。テキストを読み比べてみると、文の訳し方によって随分印象が変わるなと思った。小林秀雄の訳文の方が格調高くて好きだ。中原中也訳のバージョンもあるらしいので、それもいずれ読んでみたい。

忘れてた、サボテンも買った。スーパーの花屋で3つほど売っていて、そのうち2つは成長して鉢いっぱいの大きさになっていた。育つ過程を見てみたかったから、一番小さいやつを買うことにした。先の出っ張った妙な形をしたのを選んでしまって若干後悔したけど、机の上に置いてみたら思った以上に可愛かったので問題なし。

ただ育て方がいまいち分からない。最初のうちは毎日水をあげたほうが良いらしいけど。枯らしたくないからちゃんと調べないとな...

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脚注のダンス

何が降るかも分からぬまま震え

火中の栗 なるがままに放置

俳諧の鳥

都庁

鉈族

アリゲイターの収賄に驚く

回転してください 渡舟があるから