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4/24

つらいとか悲しいとか死にたいといった感情も大多数の人間が少なからず経験するものであってお前だけのものでは決してない

健常者とかいう枠組みを使っていくら自分を特別視しようがその感情はオリジナルのものではなくて誰かの劣化コピーに過ぎない

4/15

9歳の女児が中年の男に殺されたとかそんな感じのニュースをやっていた。その男はPTA会長で殺した張本人が追悼の言葉を述べていたというんだから、まるでドラマみたいだなと関心した。いわゆる「ロリコン」にあたるんだろうか、犯人の昔のバイト先の店長も、そういう嗜好がある奴で小さい子供に話しかけたりしていたと証言している。ニュースを見た母親は「変態だ」「かわいそうに」と犯人に対するあからさまな嫌悪感や子供に対する憐憫を露わにしていた。

確かに、犯人は実際に人を殺してしまった点では(性的暴行もしたのかもしれない)同情の余地は無いのだけど、かといってこいつは「私たちの常識から外れた」頭のおかしい奴であり関わらなくて本当に良かった、で済むものなのか疑問に思う。安全圏から、一方的に、容赦無く犯人をこきおろせるほど僕らは高尚な立場なんだろうか。

日本だけでも毎日吐き気がするくらい人間がいて、性的嗜好だって全部調べようとすると目眩がするほど沢山あるわけで、そこらに子供へ性的興奮を覚える奴がいたってなんら不思議ではない。あなたは誰からも何ら非難されない正常でまっとうな性癖をお持ちかもしれないけど、世間から後ろ指を指されるような嗜好をもった人間の気持ちを考えたことがあるのか。

それは想像を絶する苦しみかもしれない。なにしろ欲望を満たそうにも現実世界で実行に移せば直ちに法で裁かれる。結局動画やら雑誌やらで代用するしかない。しかし欲求が抑えがたいほど強かったら一体どうすれば良いのか。

 

「自分が体験できないような人間の心境を想像しようともせずに自分は正常だみたいなツラして上から目線で非難してるのなんか嫌だ」的なことを言おうとしたけどまとまりがなくなった。文章力...

 

4/14

11時半ごろに電車へ乗る

平日の昼間なので人もまばら(1車両につき15人くらい)で乗っている人達の雰囲気も心なしかのんびりとしている

自分の他に携帯を触っている人は所在なさそうに足を組んで座っているサラリーマンだけでその人も時折携帯から目を離してはぼうっと外の景色が流れるのを見ていた

本を読んでいる人も結構いた3〜4人くらい

 

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「これからぼくの話す内容は支離滅裂で無意味で人類世の中への貢献とかそんな聖人じみた目標に裏打ちされたものでもなくただ句読点を捨てて機関銃のように話し続けたらどんな様相を呈するのだろうといった類の単なる好奇心の発露であって何か高尚な理由があるわけでもない」

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上新庄で停車
抽象的な花の文様
の描かれた服と鞄を身につけた中年女性の集団
が乗り込む年齢にあまり差はなさそう

7〜8人辺りかドアの近くに集まり和気藹々と話しているほとんどがデニムジャケット(紺)を着用

よく見てみると髪型にも共通点があった
ポニーテール、団子、三つ編み髪の量に差はあれど後ろへ束ねているのに違いはない

これだけ服装、外見の似ている人間が複数
いると薄気味悪い

スーツだとか制服だとかは見慣れて
いるからいいがお揃いの私服を着ている
集団(7〜8人)なんてそうそう見ない
からそう感じるのか

あと単純にうるさい静かに乗れ口の閉じ方を
知らないのか降りろこの野郎と思う

紺のデニムジャケットと花の文様のスカートを身につけた女性が乗り込んできただけで仲間ではないかと錯覚してしまう

やっと西宮北口で降りたなにやら長文のLINE
を交わしているのが見えたしかし何故同じ格好をしているのか行き先は何処か何一つ分からないまま終わる

ツイッター

何でこんなにツイッターへ依存しているんだろうと考えていた。毎日クソ多いRT数で見たくもない情報が回ってきて不快になるし、頭の良さそうなアカウントを発見しては劣等感に苛まれるし、可能性にあふれた年下を見ると胸が痛む。ぼんやりとTLを眺めてる内に時間をどんどん浪費する。最悪な点ならいくらでも挙げられるのにやめられないのは何故か。

それは全部あの「いいね」「リツイート」とかいう機能のお陰で、一回承認を稼ぐ快楽を覚えると中々抜けられないというのがある。描いた絵がリツイートで様々な界隈へぶっ飛んでいって「いいね」が増えていくのを見るのは気持ちが良い。100とか超えた日には小躍りして喜びたくなる。

ただこれはストレスの原因にもなり得て、例えばこの人に最近いいねされてないとか、メチャクチャ手間かけた絵なのにぜんぜん伸びないとか、無意味にマイナス感情を増幅させている気がする。

まあいくらツイッターごときで承認を稼ごうが確固たる実力か何かが無いと結局なにもかも虚無なのでどうでもいい。どうでもいい全てが。

4/7

学校が始まった。

提出物を出してから、ふらふらと図書館に向かった。ランボー関連の本が借りたかったのだけど、本命のは見つからなくてがっかりした。opacで調べたところ2011年に貸し出されたまま戻ってきてないらしい。嘘だろ。 

沈んだ気持ちで雑誌の棚を見たら、現代詩手帖のバックナンバーが結構な量置いてあった。3月号がちょうどダダ・シュルレアリスム特集だったので嬉々として借りた。
 

授業に出たら同級生と顔を合わせなくてはならず、思わず発狂しかけたけど耐えた。 

おわり